イラストや漫画を描いている際、私が頻繁に行っていたのが今回の日記タイトルにもなっている作業通話でした。
スカイプやもくり、あとディスコードなんかがあるんですかね。
ツイッターで知り合った何度か交流のある方と「〇月×日の何時頃~」と日付・時間指定をする場合もあれば、「どなたか空いてたら~」の、誰でも可の2パターンでお話していました。
ある日、”好きな作品が同じ”ということでツイッターで繋がったAさんと作業通話をする約束をしました。
その方は普段イラストを描いてツイッター上に上げている方で、「絵の描き方の話をしたい」とのことでした。私もAさんの描くイラストが好きだったので、そう言ってもらえたのがとにかく嬉しくて、是非!と、すぐさま”この日にお願いします!”と通話をする日と時間を決めました。
約束した日がやってきました。
ヘッドセットを付け、クリスタも立ち上げ、準備万端とばかりにパソコン前で待っていたところ、突然Aさんが「会話に参加したいって子がいて…」と言ってきました。
別に二人でも三人でも、もっと大勢でも、私自身は楽しく会話ができさえすればいいので「勿論大丈夫だよ~」と返しました。会話に参加してきたのは私と相互フォローのBさんでした。AさんとBさんも相互フォローの関係だったので皆が知り合いの状況です。(※AさんとBさん二人の接点はわかりませんが、私とBさんとの繋がりはAさんと同様、好きな作品を通じて知り合った方です)
Aさんとのみ知り合いの方だと少し話しづらいかも…と不安だったので内心ホッとしつつも、「絵の描き方の話をしたい」という、この通話のきっかけとなった言葉が少し引っかかっていました。
というのも、Bさんはイラストや小説を書いたりする創作活動は一切しない方だったからです。なのでイラストの描き方の話を聞いて、Bさんは楽しめるんだろうか、彼女も楽しめるように配慮しないとなぁと思ったのも束の間…
何故か始まったのはどう●つの森でした。
どんなことを話そうとワクワクしていた自分はポツン状態笑。
二人はそのゲーム内でも何度か交流しているようで大変盛り上がっています。
うん。絵の話は…?
「〇〇ちゃんいるー?」Aさんの、たまに私を呼ぶ声が無慈悲にヘッドセットから聞こえていました。
私もこの頃人生初の森ゲーで遊んでいましたし、Aさんもそのことは知っていました。ですがこのゲームが自分には合わないなぁと大分飽きがきていた時だったので一緒に遊ぼうという気も起きず…。
絵の話も、好きな作品の話も全くできずにこの日のもくりは終了。
ただただ二人の、森ゲー内の交流会話を聞いているだけでした。
時は流れ、某ジャンルで知り合ったCさんDさんとも何度かもくりをやりました。
最初はCさんとのみ知り合いだったので、CさんからDさん(過去に別ジャンルで知り合ったそうです)を紹介してもらい、何度かツイッター上で交流しました。その後三人での交流が増えてきたこともあり、私がフリースペースを作ってそこに二人が顔を出してくれることが多くなりました。
ただ、上にも書いた通り、私はDさんとは最近知り合ったばかりなので、共通の話題といえばこの三人が知り合うきっかけになったジャンルのみ、となります。
また、これは仕方のないことですが、好きな作品の話題(知り合ったきっかけとなる現ジャンルの話題)が途切れると、二人が以前好きだったジャンルの話になることも多かったです。自分もその作品を知っていたのなら会話に混ざれそうですが、残念ながら知らない作品なのでただ聞く係となります。他には家族や仕事の話です。私は本当に信用できる、と思った人にのみ自身のことを話すようにしているので、この二人とはまだ付き合いも浅かったこともあり、これも当然聞く係となりました。
私も、この話をしたい!というお題のようなものを掲げて通話をする人を募るわけではなかったのでこのような流れは当然かもしれません。でも、二人で通話する時でいいんじゃない?と思う時が何度もあり、通話する人を募集したいけどまたこの二人がスペースに来るのかな…と少し憂鬱でもありました。
交流のあった人から「遊びに行こうと思ったけど、すでに入室してる人がいたからやめたんだ~」と言われることも何度か…。
仲良くしてもらえたことはとても嬉しかったのですが、通話となると、一人蚊帳の外感をよく感じていたので、アイツが部屋を作ってるからそこに集まったらいっか!というお部屋係だったのかもなぁと今となっては思います。
上に書いた方たちとはジャンルを離れたこともあって、今は交流も通話もすることはありませんが、一度限りでも数度でも(作業)通話をするなら楽しいのが一番ですよね。
いろんな方とお話するのは好きですし、その会話から情報や刺激も沢山頂けるので、できるだけ交流を持ちたい派ですが上のようなパターンはもうこりごりです。
参加人数が奇数だからうまくいかないんだろうかと考えたこともありますが、奇数であっても楽しく通話できたことは何度もあるので数は関係ないようです。